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【レポート】「愛され必要とされる企業になる瞬間」株式会社浜野製作所・浜野慶一さん

2017.06.12(月)

19:00-21:00

レポート詳細

■逆境を乗り越えた町工場のお話

 機能面を追求する「最高」戦略、低価格を訴求する「最安」戦略、どちらも資金に余裕がある大企業ならではの戦略だろう。では、これからの時代中小企業が生き残っていくためには、どのような戦略を採用すべきか。今回のイベントのファシリテーターを務めたビジネス・コミュニティデザイナーの但馬武氏は、愛され必要とされる企業になること、つまり「最愛」戦略こそ、今後中小企業が採るべき戦略だと語る。

 今回で5回目となる本ワークショップでは、毎回実際に「愛され必要とされる」企業の経営者をゲストに迎えている。ゲストの話を聞き、皆で「愛され必要とされる」企業になるための要因を抽出し、語り合うことがこのワークショップの主旨だ。今回のゲストは、町工場がひしめく墨田区で板金やプレス加工を中心とした金属加工を営む、株式会社浜野製作所の浜野慶一社長。浜野製作所は、本業の金属加工だけでなく、産学官連携や地域の学校と連携した人材教育、ものづくりの総合支援施設の運営やベンチャー支援など、従来の町工場の枠を超えた活動を展開している。現在3つの工場を所有しており、そこに41名の従業員が働いている。町工場のリーダー的な存在である浜野製作所の経営は順風満帆であったかのように見えるが、ここに至るまでは、今の姿からは想像もつかないような過酷なストーリーがあった。

 1968年に浜野社長の両親が創業し、夫婦で経営してきた浜野製作所は、他に職人が数名在籍しているような、いわゆる小さな町工場だった。浜野社長は日々工場で働く両親を見て、「尊敬できないし、継ぎたくなかった」という。そんな浜野社長に転機が訪れたのは、大学4年生の就職活動の最中だった。父親に連れられ、飲みに行った居酒屋で聞かされた「ものづくりは誇り高いものだ。仕事を誇りに思っている」という言葉が、当時青年だった浜野社長の人生を大きく変えた。「自分が恥ずかしくなった、と同時に誰かが継がねばならないと思った」と、そのときの心情を浜野社長は振り返る。その後、浜野社長は父親が斡旋してくれた工場で丁稚として働き、父親の死後、1993年に浜野製作所社長の座を引き継いだ。

 社長業を引き継いだ当時、浜野製作所の取引先は数える程だった。また、慢性的な人手不足にも悩まされ、経営は困難を極めた。それでも細々と事業を続けていた同社だったが、2000年に近隣からの貰い火によって本社兼工場が全焼してしまう。会社を畳んでもおかしくないような状態だったが、浜野社長は諦めなかった。地域の人々や従業員の力を借り、仮工場で営業を再開した。「もしこの会社がなんとかして存続できるなら、お世話になったすべての人たちにきちんと恩返しがしたい」。「『おもてなしの心』を常に持って、お客様・スタッフ・地域に感謝・還元し、夢(自己実現)と希望と誇りを持った活力ある企業を目指そう!」という現在の経営理念は、この悲壮な事故の経験から生まれたという。

 営業を再開しても、すぐに経営が軌道に乗ったわけではない。設備は1万円で仕入れて来た機械、従業員は丁稚時代からの社長の盟友である金岡氏1人という状況で、仕事もなく給料も払えない時期が続いた。火災の賠償金を払うはずだった企業も倒産し、浜野製作所はまさに絶体絶命の窮地に追い込まれた。
 ここでファシリテーターの但馬氏から「どのようにドン底から這い上がったのか」という質問が飛ぶと、浜野社長は「特別なことは何もなく、とにかくやるべきことをやった。初めに資金繰り、次に仕事の確保といったように頭の中で優先順位は決まっていた」と答えた。資金繰りに関しては、当時の低金利政策の影響もあり、比較的円滑に進んだ。問題は仕事の確保だ。浜野社長は火災以前に取引のあった4社に加え、大学の先輩等の伝手を辿り販路の拡大に努めた。しかし、なかなか成約に至ることはなかった。それでも諦めず営業活動を続けるうちに、徐々に仕事に関する話が舞い込むようになる。「何度も訪ねていると、他の工場で出来ないような短納期の仕事を任されるようになっていった。短納期の量産はどの会社も困っているんだということに気づいた」。設備も人員も足りない状況で、浜野社長は顧客の要求する納期を上回るスピードで製品を納品し続けた。それが信頼につながり、次の仕事、また次の仕事と続いた。
 会場から「なぜそんなに早く納品できるのか」という質問が飛んだ。「秘訣は寝ずに作業すること」と、社長は微笑んだ。

Cap:登壇する浜野慶一社長

 

 

■なぜ愛され、必要とされるのか

 浜野社長の話を元に、皆で浜野製作所が「愛され、必要とされる」理由について話し合った。筆者が加わったグループでは、主に社長の人柄に注目が集まった。都内で革細工の店を営む男性は、実際に浜野製作所に仕事を依頼したことがあるという。「多分ここもダメだろうなと思いながらふらっと立ち寄ってみたら、社長が直々に出て来てくれて、1時間以上話を聞いてくれた。個人に厳しい工場が多いなか、なんてオープンな会社なんだろうと驚いた」。利益の薄い個人客であっても、困りごとに対して真摯に対応する。その姿勢は確かに、人に愛される要素のひとつだろう。ソーシャル・デザインに携わる男性は「先代のものづくりが好きだという気持ちが生きている。それは現在の産学官連携やものづくり総合支援施設の設立などの活動にも表れている。社長を核として企業全体に、ものづくりへの愛という芯が通っている」と語る。態度や信念が一貫してぶれない人間は、一般的に好意的に受け入れられる。人間は期待に応えてくれる、もしくは期待を超えてくれる存在に好意を覚えるからだ。

 企業が「愛され必要とされる」理由は一般化できるものではない。しかし、今回皆で抽出した理由はすべて正しく、「愛され必要とされる」企業になるための変数なのだろう。そして、その変数はまだまだ数え切れないほど存在する。膨大な変数の中で、何がより重要かを語り合うグループ内での議論に熱が入った。真剣に語り合う今回の参加者の中から、近い将来、自分の会社を「愛され必要とされる」企業へと導く人がたくさん出てくるのだろうと思うとワクワクした。

Cap:「愛され必要とされる」企業になるための変数
                                    (文:酒巻 徹)